日本ではあまり取り上げられていないようですが、この夏アメリカでは、グーグルを解雇されたジェームズ・ダモア氏のことが話題になっていました。
ジェームズ・ダモア氏は、生物学的に女性の方が不安になりやすく、そのことがエンジニアの職場におけるジェンダー・ギャップの原因である。つまり、女性エンジニアが少ない理由であると社内文書で述べました。加えて、グーグルのダイバーシティ推進に関する取組が一部の従業員にとって差別的であると批判しました。
そもそもその「生物学的」性差自体、科学的根拠があるかという論点もありますが、仮にそれが正しとして、そういったことを職場で口にしても良いものでしょうか。
オルタナ保守と呼ばれる保守派の人たちの間ではこの発言は支持される傾向もあります。一方、アメリカの「政治的正しさ=ポリティカル・コレクトネス」を重視する「進歩的」文化の立場の人からすれば、これは許される発言ではありません。
日本国憲法と同様、アメリカ合衆国憲法も「言論の自由」を保障していますが、これは公権力(政府)と国民の関係についてのお話であって、私企業が従業員の言論を制限すること自体は、必ずしも表現の自由の範疇ではないようです。むしろ私企業と従業員の間は自由な契約ができるのが原則であって、社内で不適切な発言があった場合にその従業員を解雇すること自体は、違法とまでは言えないかもしれません。(もちろん解雇に関する法規制等、他の論点はあり得ます。)
また解雇の理由は「差別的な発言」そのものとは限りません。その発言自体を不快に感じる人が多く、職場環境に悪影響を与えるという理由も考えられるでしょう。グーグルの従業員の多くは「不快」に感じていたかもしれません。
加えてセクハラの問題もあります。仮にグーグルの女性従業員がダモア氏の発言を脅威とみなして訴訟を起こしたとしたら、それはグーグルに多大な損害を与えかねません。
つまり、ダモア氏の発言自体がグーグルに多大な損害をもたらすリスクがあるとも言え、グーグルの解雇にはそれなりの理由が認められうるということです。
では、グーグルがジェームズ・ダモア氏を解雇したことは、いったい何が問題なのでしょうか。
ウォール・ストリート・ジャーナルの質問に答えた弁護士によれば、「グーグルのような企業にとっての難題は、自由な発言を促すためのプラットホームを作っておきながら、考えを述べた社員を処罰していいのかどうかということ」なのだそうです。
ダイバーシティ推進が叫ばれる世の中、ダイバーシティは企業経営にとってプラスであることを示す調査は数多くあります。それを理由にダイバーシティを推進する企業もあるでしょうし、ポリティカル・コレクトネスを理由に推進する企業もあることでしょう。
しかし究極的には、各企業のポリシーの問題であり、信念の問題だということになってしまうのかもしれません。
今回の解雇について、グーグルのピチャイCEOは「(ダモア氏の)メモの中には当社の行動規約に違反し、社内に性別についての紋切り型の考え方を広めようとする内容が含まれ、行き過ぎがあった」と述べています。
ダイバーシティ自体は大事な価値観だと思います。ただ、言論の自由を守ることを信念とする企業だからこそ、いきなり解雇してしまうのではなくて、同じ解雇という結論に至るにしても、もう少し透明性の高い議論を経るべきだったかもしれません。
参考文献
Yoree Koh & Kelsey Gee, “Google Uproar Highlights Questions Over What You Can or Cannot Say at Work”, The Wall Street Journal, Aug 8 2017
“A Google employee inflames a debate about sexism and free speech”, The Economist, Aug 10 2017
“Google’s Diversity Problems”, The Wall Street Journal, Aug 10 2017
James Damore, “Why I Was Fired by Google”, The Wall Street Journal, Aug 14 2017
Christopher Mims, “What the Google Controversy Misses: The Business Case for Diversity”, The Wall Street Journal, Aug 15 2017
Get Social